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山形城(やまがたじょう)は、山形県山形市霞城町にあった日本の城。別名は霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれる。また、吉字城とも呼ばれた。
山形城は、本丸(2.83ヘクタール)・二ノ丸(27.99ヘクタール)・三ノ丸(234.86ヘクタール)を三重の堀と土塁で囲まれた輪郭式の平城で、東北では最大です。
東北屈指の戦国大名・最上義光公がその礎を築いた「山形城」。1986年に国の史跡指定を受け、2006年には「日本100名城」に認定されています。山形市市街地のほぼ中央に ...
山形城は最上義光の居城として知られ、最上氏が転封された後も鳥居氏や保科氏など徳川家の有力大名の居城でした。日本国内では5番目の広さで、奥羽地方では最大の城 ...
山形市街地のほぼ中央に位置。延文元年(1356)に羽州探題として山形に入部した斯波兼頼(最上家初代)が築城したのが始まりと伝えられ、現在の城郭は第11代城主最上 ...
山形城と言えば、最上氏57万石の巨大な平城として有名。 外郭にあたる三の丸は東西1480m、南北1881mにも及び、日本で5番目に大きな城郭です。 最上氏は室町幕府の三管領家 ...
山形城は斯波兼頼によって延文2年(1357)に創建されたと伝わる。兼頼の子孫である最上義光が、文禄年間(1592~96)に全国有数の規模に拡張した。
2024/7/8 -山形城の歴史は、羽州探題として山形に入った斯波兼頼(最上家初代)が延文2年(1357)に築城したことに始まります。その後、最上氏第11代の最上 ...
山形県山形市に位置する山形城は、「斯波兼頼」(しばかねより)によって築城された平城です。建造物のほとんどは藩主交代などによる衰退や明治以降の解体などにより ...