唐沢山城(からさわやまじょう)は、栃木県佐野市富士町と栃本町にかけてあった日本の城。別名は栃本城、根古屋城、牛ヶ城。 「関東一の山城」と称される。
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- 天気:晴れ 19℃ (降水量0mm/h)00時の予報
- 住所:栃木県佐野市
- 電話:0283-24-5111
- 最寄り駅:田沼駅[出口]徒歩45分
- 営業時間:通年 0:00~24:00…
天慶の乱を鎮定した藤原秀郷が築いた居城。関東平野を一望におさめる絶佳の地にあり、関東七名城の一つと謳われた山城。本丸、二の丸、三の丸、空堀などの遺構が残る。
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唐沢山城は佐野氏の居城として知られており、関東七名城のひとつに数えられる城です。関東地方の古城には珍しく高い石垣が築かれているのが特徴です。
戦国時代に佐野氏が居城し、交通要衝の地にあるため、本城をめぐって何度も戦いがあった唐沢山城。そのため、攻撃に備えるいろいろな工夫が随所に見られます。
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2019/12/2 -藤原秀郷が造ったと言われていますが、はっきりしません。現在有力なのは佐野盛綱が15世紀から本格的に造り始めた説ですが、それすら証拠に乏しいのです。
唐沢山城跡は、栃木県南部の唐沢山一帯に広がり、山頂本丸の標高は242メートルを有します。山麓(さんろく)に広がる根小屋(ねごや)地区との標高差は約180メートルです。
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天慶3年(940年)藤原秀郷によって築かれたのが始まりとされる。 秀郷は平将門が関東を制圧した天慶の乱を鎮圧した功によって、下野に勢力を張った。
唐沢山城の戦い(からさわやまじょうのたたかい)は、永禄年間から元亀年間にかけて、下野国唐沢山城(現在の栃木県佐野市富士町、栃本町)において、越後の上杉謙信と ...
標高250m程の唐沢山の頂上にある唐沢山城の城跡に創建された神社である。佐野市内から狭い急勾配、ヘアピンカーブが続く林道を30分ほど登った先にレストハウスも備えた駐 ...