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平安時代に始まる天台宗の寺院で、室町期以降、皇室一門が住職を務める門跡寺院となった。桂離宮をしのばせる雅なたたずまいと意匠の数々は、離宮を営んだ智仁親王の ...
曼殊院(まんしゅいん)は、京都市左京区にある天台宗の寺院。山号はなし。本尊は阿弥陀如来。開山は是算(ぜさん)。竹内門跡とも呼ばれる門跡寺院(皇族・貴族の子弟 ...
竹内門跡とも称し、天台宗五箇室門跡の一つとして知られる洛北屈指の名刹です。虎の間・大書院・小書院・庫裡は重要文化財で、建築・庭園ともに創意に満ち、狩野永徳や探幽 ...
修学院離宮前の細道を南方に進み、暫く東山を上って行く。1km弱、20分程で曼殊院に着いた。院の前には非常に広い駐車場があって、拝観者が多いことが解る。小さな山門( ...
曼殊院にある江戸時代建築の重要文化財建造物。京都三名席の一つ。小書院に付属する茶室のひとつ。仏教の八相成道にちなむ八つの窓があることから八窓軒と呼ばれる。障子に ...
曼殊院は、京都市街の東北、比叡山の南西麓にある門跡寺院で、平安時代の延暦年間(782~806)に天台宗の開祖最澄【さいちょう】が比叡山上に創立したのに始まります。
曼殊院は、もともと比叡山西塔北谷にあり東尾坊と称しました。天仁年間(1108~9、平安後期)、学僧、忠尋座主が当院の住持であったとき、東尾坊を改めて曼殊院と称 ...
洛北の名刹といわれる曼殊院(まんしゅいん)門跡。起源は最澄が比叡山で坊を営んだことがはじまりと伝わる。その後、江戸前期に良(りょう)尚法(しょうほう)親王が入寺 ...
1261年より、当院の栄盛という僧が発願し、慈恵大師(良源、元三大師)を造立した。ほぼ毎年1体ずつ、全部で33体の像を刻んだという。そのうちの1体になる。当時は怨霊災禍を ...