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国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介( .... 日本三代実録』貞観8年(866年)3月7日の条によれば、当時の国司の介を置いていなかった上国を含む八国(甲斐国、能登国、丹後国、石見国、周防国、長門国、土佐国、日向国)に介を置き ...
奈良時代の甲斐国司は13名が確認され、『続日本紀』天平3年(731年)12月21日条の田辺史広足に関する記事を初見とする。以下、国司不明期間を含み断続的に甲斐国司 に関する記事が散見され、天平宝字5年10月1日に任官した山口忌沙弥麻呂以降は最後 ...
甲斐国司〕** ○長徳2年1月25日(996)【『長徳二年大間書』】 ◇甲斐権掾…大春日遠明。正六位上。 ◇甲斐掾…坂本広茂。正六位上。 ◇甲斐掾…三国重信。名替停。 ○長徳3年1月28日(997)【『大間成文抄』】 ◇甲斐介…賀陽文...
平安時代において、地方の災害対策の実施に熱心であったのは国司であった。すでに9 世紀には、上野国の国司であった人物によって大般若経の写経が行われるなど、地方社会において国司たちは仏教信仰の担い手であり、災害対策として法会を行うなど積極 ...
山梨の基礎となった甲斐国がいつから歴史に登場するのか、そして古代においてなぜ国中・郡内を統合した国の領域が定められた ... 甲斐国司が仁部省(民部省)の命令により、逃亡した仕丁漢人部町代の替りとして漢人部千代を都(当時は近江国保良京〈滋賀 ...
また、古代の国づくりの根幹になった仏教文化を象徴する国分寺や、条里制による土地制度の紹介を通じて、古代甲斐国の成り立ちや自然の開発について考えます。 甲斐の誕生 主な展示資料 ・甲斐国分寺関係資料 (鬼瓦、軒瓦、墨書土器など) ・甲斐国司解( ...
甲斐は古くから柯彼・歌斐・加比・介賓などの文字をあたえられ、日本武尊が東国より入国して酒折宮の地にしばしやすんだと伝えられ、高い山に ... 天平年間(749~57)に国司赴任の記録がある。 ... これらに荘園をでき、これを地盤として甲斐源氏が発展した。
すなわち,守 (かみ) ,介 (すけ) ,掾 (じょう) ,目 (さかん) の4等官の国司が中央から派遣され,国の行政,司法,警察を司った。 .... 吉村茂樹著『国司制度崩壊に関する研究』(1957・東京大学出版会) ▽坂本賞三著『日本王朝国家体制論』(1972・東京大学出版 ...
政治部主任、解説部次長、人事部次長、北海道支社総務部長、紙面審査委員会委員などを歴任。 2014年4月 国際医療福祉大学医療福祉・マネジメント学科教授、同総合教育センター主任; 教育研究分野領域: 社会保障制度論; 研究テーマ: 社会保障制度改革 ...