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イントロ 撃ち落とされる特攻機。
元特攻隊員「特攻隊は最高の栄誉」
元特攻隊員「若者が特攻で人々を守るため立ちはだかるのは当然」
元特攻隊員「棺おけに入る練習や毎晩」
特攻とは、必ず死んでしまうと言う必死の攻撃。多くの若者が特攻で亡くなった。
75年前、戦友(若者)たちを見送った人の思い。
2019年・岐阜県可児市でおじいちゃん、飯田一さん(94)と出会った。
飯田さんは、15歳で海軍航空隊・予科練に入隊。
当時、少年たちは大空に憧れ、飯田さんもそのひとり。
でも現実は、憧れとはほど遠く、毎日、木の棒で叩かれました。
飯田さんが入隊した土浦海軍航空隊には、当時、15歳から17歳の少年が訓練を受けていました。
予科練を卒業した飯田さんは、一式陸上攻撃機の乗組員になりました。
一式陸攻は、人間ロケット『桜花』を吊り下げて飛んでいました。
アレ(桜花)は、使うべきじゃ無かった。
『桜花』約1,2トンの爆薬を積んで敵艦に体当たりするための小型機。
桜花は、敵艦に飛び込むことが目的の特攻兵器。帰還して着陸するためのタイヤはありません。
桜花のパイロットが、特攻する時の表情が75年以上たっても忘れられないという飯田さん。
桜花は、わずか10秒ほどで燃料は燃え尽きるため、敵艦に接近してから切り離され、搭乗員もろとも爆発します。
桜花の搭乗員をはじめ、60人あまりの戦友を見送った飯田さんは、台湾で終戦を迎えました。
当初、約2万4千人いた予科練出身者は、約5000人になりました。
2020年8月、新型コロナのため飯田さんに面会できませんが、メッセージをくださいました。
飯田さん「勝っても負けても戦争というものは得るものがないです」
多くの若者が命を落とした戦争がありました。
飯田さん「若くして散っていった戦友のことが、生涯忘れることができません」
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