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今日は豊橋駅にやってきました。今回のお題は?川がない場所に橋の欄干!?
写真の場所を探す武田アナ
おっあっ、かやまちはし!ここですよ。でも、今ずっと歩いてきましたけど川なんてなかったですよね
一体なぜこんな場所に欄干があるのか?道路を管理する豊橋市に問い合わせてみると観光ボランティアの人を紹介してくれました。
元々ここ牟呂用水という用水が流れていまして橋はかかっていたんですけど
牟呂用水とは豊川を水源に、〇〇から〇〇まで全長およそ22キロにわたってひかれた農業用水のこと。1888年に造られ、現在でも工業用水や水道水の水源として使われています。でも、なぜ上にビルが建てられたのでしょうか?
豊橋も空襲があって焼け野原になってその後闇市が出来上がって再開発ということで小学校の跡地に闇市を持ってきたんですね。
その後、闇市は商店街になりましたが、木造で入り組んでいたため、防災や景観の都合で問題に。商店街の組合は土地を売り、その資金を元手にビルを建てることにしたのですが・・・豊橋駅前にはすでに余っている土地がなく、牟呂用水に蓋をして上にビルを建てることにしたんです。
こうして1964年に出来上がったのが大豊(だいほう)ビル。鉄筋コンクリート造りの3階建てで、幅〇〇メートル、高さ〇〇メートル、奥行きは川幅いっぱいの〇〇メートルという細長いビルです。その後、両隣の用水の上に豊橋ビルと、大手ビルが次々と建ち、3棟合わせて「水上ビル」と呼ばれるようになりました。地下1階部分に用水が通っているのは全国的に珍しいんだとか。実は萱町(かやまち)橋は、ビルが建つ前からあった橋。ビルは橋を避けて建てられ、そのまま残されました。欄干だけ残っていた訳ではなかったんですね。
用水があって橋があって、そしてその後にビルが立ったていう歴史がわかると思います。そのためにもこういった物を残しているってことなんですかね?
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