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礼拝と慈悲の瞑想
初期仏教Q&A
Q:去年の秋に父が亡くなりました。最近、家の外の階段に蛇を見ました。……その蛇は転生した自分の父ではないかと妄想しています。身内や知人が亡くなったりして、どこに転生したかわかる方法はあるのでしょうか? また生命を見て、これは生前の○○だとわかる方法はありますか?
Q:重い腰痛の人でも悟ることはできますか? 1時間歩く瞑想のときが一番きつく、苦行に感じています。腰の痛みで、とてもゆっくりな歩きのせいか、痛みが強烈で、雑念もたくさん浮かんでしまい、体の痛みか妄想のどちらかをラベリングしたらいいか中途半端になっています。(座る瞑想は1時間くらいできています。)
Q:先日ある意見を聞きました。それは「輪廻して次の生命に生まれ変わるとき、その生命は今の生命が何をしてきたか分からない別の人格なので、業を相続していても実感がないはず、 たがら、今生で修行とかあまり熱心にする必要がないのでは?せいぜい今が困らない程度に道徳を守ればよい」というものでした。……たぶんに何かこの見方・見解自体が間違っていると感じるのですが、何処がどんなふうに間違っているかよく見えてきません。私もちょっと分からなくなってしまったので、長老のご意見を伺いたくなりましたので質問しました。
Q:私が六根で受取る情報は誤魔化せても、私が六根で受取る音は誤魔化せない。そんな自分が嫌いで、許せなくて、ずっと過食嘔吐でバランスとって生きる人生です。私にとっての真実は、私が六根で受取る音なのに、情報とは乖離してるし、正反対なことがほとんどだし、だから、情報に合わせないと、社会では生きていけないし...本当に苦しくて、今日で終わって欲しいと毎晩願う日々です。どうすれば、生きやすくなるのでしょうか?
Q:長老の『慚愧の研究』(施本)を読み、とても大切なものだと思いました。それに慈悲、柔和、慢を減らすといった事も心に留めていきたいと思います。他に在家信者の指針となる標語、キーワードのようなものがあるでしょうか? また、そのように標語に頼るのは何か問題があるでしょうか?
Q:私はランニングをしますが、「歩く瞑想」のように「走る瞑想」はあるのでしょうか?。私はゆっくり走る時に、考え事しながら、妄想しながら走っていると気がつき、自分の体の右足、左足の着地を感じるように走るようにしていますが、よろしいのでしょうか?
Q:自分の意見を言うとき、「自分のためになっているか、人のためになっているか、皆のためになるのか」と気を付けるようになりましたが、そもそも「自分の意見」が、とんじんちに染まっているのではないかと思い、意見が言えなくなりました。どのように考えればよろしいでしょうか?
Q:悩んでいるときに妖精が頭に浮かんで解決してくれたり、道を歩いていて植物に大丈夫だよー。と伝えられたり、神様みたいな映像に慰められたりするのは、妄想ですか?
Q:「3年前からずっと私はミカンが好きです」という場合、3年の間にミカンが好きと思ったそれぞれの瞬間の「私」は、全て別の「私」という解釈でいいのでしょうか?次の瞬間には新しい「私」が生まれているのだから、欲ばったり怒ったりする瞬間の「私」に執着せず、善思考でいる瞬間を増やすように精進すればいいのでしょうか?
Q:帝王切開で子供を産んだ場合、ホルモンの関係で愛情が不足することがあると著書にあったと思いますが、その場合は子育てのどのような部分に影響してしまうでしょうか? 子供を慈しみの気持ちで育てれば陣痛を経験していなくても問題ないでしょうか?
Q:毎日夫と一緒にいると、人権という幻想(人権侵害されているという気持ち)→恐れ・怒り→苦しみ と見える事が多いです。生存欲はしかたないけれど人権が出ると苦しいなと思います。家族として、何を心がければいいでしょうか?
Q:瞑想によっていくらか落ち着いた心が、怒りによって壊れてしまうことがとても多いと感じています。どのような心構え、行動を行っていくことが状況の改善につながりますでしょうか?
Q:私は学生の頃から弓道をしているのですが、弓界で非常に有名な明治から大正時代にかけて活躍された阿波研造(あわけんぞう)という先生がいらっしゃるのですがこの方について書かれた『弓と禅』という本を見ていると弓道と禅思想、仏教思想を結びつけて指導されていたようなのですが、このように武道に仏教思想が利用されるのはどうなのでしょうか?
Q:お釈迦様の教えとは、全ての生命に慈しみや慈悲の気持ちを持つことだと、感じられるようになってきました。ただ、「慈しみ」と似た言葉で「慈愛」という言葉を、たまに目にします。「慈愛」は、「愛」が入っているので、愛着や執着につながるので、あまり使わない方がよい言葉なのでしょうか? それとも、「慈愛」は、日本語では、「慈しみ」と同様の意味合いで使われているような実感があるので、気にしない方がよいのでしょうか?
Q:YouTubeで某政党の政策を知る機会がありました。昔はその党の党首○○はヤバいやつだと思ってましたが、まともな政策だと知り、180度見解が変わりました。 その後友達にその政治家のことを勧めてもみんな理解してくれません。テーラワーダ仏教を勧めてもみんな理解してくれません。毛嫌いして話を聞こうともしてくれません。この場合、みんな感情の世界で生きているのだからと自分に言い聞かせて自分は自分、他人は他人と割り切ったほうがいいですか? つまり、正論を人に言うのはやめて、適当に話を合わせて生きたほうがいいのでしょうか?
Q:昨年9月号『パティパダー』の正精進について。修行が進んで喜悦感をおぼえたり軽安を感じ光が見えたりするのは「今までなかった悪」が現れたことになると仰せでした。軽安は善だと思っていたのですが、違うのですか?
Q:神経質ってよく言われてしまうのですが、仏教的に神経質とはどんな状態や性格ですか? 良くないことなのでしょうか?
Q:協会で苗をいただいた菩提樹を大切に育てています。2mくらいの大きさになっています。1年ほど前から、鉢に蟻が住み始めました。それから不思議なことに葉にカイガラムシが住み始め、甘い蜜をだしています。調べると、蟻とカイガラムシは共生しているとのこと。けれども、菩提樹の葉っぱは、ベタベタしてなんとなく元気がありません。どうしたらいいか、お知恵をください。
Q:人はやってしまったことよりもやらなかったことで後悔すると本で読んだことがあるのですが、どうしたら「やり残したことはない」と言い切れる生き方ができるでしょうか?
Q:瞑想を続けていて、嫌なことだったり辛いことが起きたりして、怖くてやめてしまいます。続けていきたいのですが、やってはやめてをくりかえしてしまいます。そうなってしまう原因はなんでしょうか? 恐怖感なく瞑想を続けたいです。
Q:知人の女性が学校の先生をしているのですが、「子供を怒鳴りつけるだけの精神的強さがない」と悩んでいます。何か力になりたいのですが、どうすればよいでしょうか?
Q:私は、スマナサーラさんの話しを聞いてから、日々、心が落ち着きました。お陰様です、ありがとうございます。ご質問です、自分の心が落ち着いたら、自分以外の悩み苦しんでいる人の心も楽にしたいと思い、人の悩みを聞いています。人の悩み苦しみを聞くだけで、人助けになるのでしょうか?
祝福の偈