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早稲田。都電荒川線は新目白通りでは併用軌道だった。併用軌道は専用軌道より路面電車の通過音が大きい。ほとんどの都電が廃止後だったので、その音がすごく新鮮だった。 #早稲田 #都市風景論 #都電荒川線 pic.twitter.com/e3F3xOQmy8
新宿駅。かつては、長距離普通列車や長野方面への夜行列車、急行アルプス号等が発着する一大ターミナル だった。その頃は新宿駅にも駅特有の郷愁があった。 #新宿駅 #郷愁 #都市風景論 pic.twitter.com/UlxUt8oZhB
下北沢一番街って戦災に遭っていないのかもしれない。左は元豆腐店だったと思うけど、出し桁造りのような古い造りだった。 #下北沢一番街 #都市風景論 #2008年 pic.twitter.com/7Qqr0bNk83
#三越 #都市風景論 #ティファニー つい先ごろまで創業350周年記念を展開していた。今はデパートメントストア宣言110周年。いろんな球を繰り出してくる。 pic.twitter.com/7dBjezHtXw
20年ほど前、この穴子飯の「玉ゐ」の前通って茅場町の会社まで通勤していた。当時は川口商店(昭和28築)のレトロな酒店だった。今も建物と街灯に川口商店という屋号が残っている。そう思っていたら、奥の母屋が「川口商店」という酒BARになっていた。 #玉ゐ #川口商店 #都市風景論 pic.twitter.com/cU5HHBDnJF
神田、丸石ビルディング。建設当時から所有者が変わっていない。丸石自転車の丸石商会とGM代理店の大洋自動車を子会社を持つ大洋商会が2階、1階に入居していた。豪華な内装の1階はGMのショールームだった。 #神田 #丸石ビル #都市風景論 pic.twitter.com/kGK8U01dOl
神田の日本麻雀連盟の本部。昭和4年創立。初代会長は菊池寛。稲山嘉寛や斉藤英四郎なども会長に名を連ねた。 #日本麻雀連盟 #都市風景論 #神田東松下町 nihon-majan.org/index.html pic.twitter.com/9iGhQezwyB
神田界隈には戦前の看板建築が未だ残っている。レトロな鶏肉専門店を見るといつもの爺さんではなく若い人がさばいていて驚く。牛乳箱の神田多町の住所を検索すると、森屋を冠した飲食店ビルだった。庄之助最中の建物も銅板張り。 #神田 #都市風景論 pic.twitter.com/srWQ30WF09
関東大震災後の復興橋のお茶の水橋(昭和6年)。解体間近のお茶の水駅のモダニズム建築の旧駅舎。神田川上に組まれた作業スペースも静かになっている。仮設の聖口は解体されていた。 #お茶の水駅 #都市風景論 pic.twitter.com/nJmjvp2obu
警視庁巣鴨警察署の染井駐在所。1人の警察官が家族と住んで職務を遂行する駐在所は地方にあるイメージがある。しかし、23区にもそれなりにあって、どちらかというと成城警察署など高級住宅に多く交番がリストラされるなかで増えている。 #駐在所 #染井 #都市風景論 pic.twitter.com/ozmsXubrTg
「麹町ダイビル(1975年築)」。村野藤吾は住宅地だった周辺との調和を考え、その結果、教会のような趣のビルになった。1ビル1テナントの中型のビルで、長らく東京スタイルの本社となっていた。樹齢100数十年の銀杏の樹があるなど周囲と隔絶した緑が残る。 #麹町ダイビル #都市風景論 #村野藤吾 pic.twitter.com/Vbbs5dCYkp
文京区白山の旧産業地。2009年2月。料亭跡は、近年ほとんどが消失してしまった。細い路地の石畳だけが残っている。 #白山花街 #2009年 #都市風景論 pic.twitter.com/0JHQ8HVoM2
塀の向こうは国立科学博物館附属 自然教育園(旧白金御料地)。中の湧水から流れ出ていたと思われる水路跡がある。 #白金 #国立科学博物館附属自然教育園 #水路跡 #都市風景論 pic.twitter.com/fmnw0JAWwb