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「虚空というのは、妨げるものも妨げられるものも何もない。それを虚空だというんです。」西田昭教師『最後のご縁・すでに道あり』p.44〔240607 #アサポス vol.68〕#仏教 #言葉 pic.twitter.com/AS3NAVPede
「握ったら全部手垢が付いてしまうんです。握ることの世話がいらん法がはたらいているんです。それが浄土真宗のご法義なんです。」西田昭教師『最後のご縁・すでに道あり』p.20〔240606 #アサポス vol.67〕#仏教 #名言 pic.twitter.com/rxCi7dag6a
「単に出来上がったと言うだけじゃないんですね、なんのために南無阿弥陀仏となって下さったかというたら、いわゆるこの私というものを救うというはたらきとなることが目的なんです。」西田昭教師『最後のご縁・すでに道あり』p.48〔240603 #アサポス vol.64〕#仏教 #浄土真宗本願寺派 pic.twitter.com/zDW0SyHjke
「仏法の心を伝えるために、仏典にはたくさんの物語がある。その物語は、そのことが事実あったか、どうかという詮索をするものではなく、何をこの私に語ろうとしているのかという一点をのがさずに聞こうとする姿勢が大事だといわれている。」『人と生まれて』p.103〔240602 #アサポス vol.63〕 pic.twitter.com/fB3Ppl30hK
「どんな扇にも必ず「要」というものがある。どれだけ 大きくて 立派なものでも、小さな「要」ひとつが、はずれると扇としての働きができなくなり、こわれてしまう。私たちの人生も、正しくその通りである。」宇野行信師『人と生まれて』p.2〔240601 #アサポス vol.62〕#仏教 #言葉 pic.twitter.com/2ebnr4le5J
「エマーソンの考えによると、人間の眼からみれば、不都合な雑草であるかも知れない。けれど、その雑草のままで、大きな眼からみれば、人間にまだ発見されない価値を持つ、かけがえのない植物なのである。」(エマーソン:イギリスの学者)『人と生まれて』p.29〔240529 #アサポス vol.59〕 pic.twitter.com/awEHsPknU4
「無疑心は、こちらの条件に関わりなく如来よりたまわった信心なのである。この如来の無疑心が私の上に働いている具体的な姿が、何をいい出すかわからぬこの口から南無阿弥陀仏とお念仏となってあらわれてくださっているのである。」宇野行信師『人と生まれて』p.128〔240528 #アサポス vol.58〕 pic.twitter.com/vffP0lOkY2
「時には、道を新たに開くことも必要であるが、迷うている当人にとっては、与えられている道を歩むことは、それ以上に大切なことなのである。」宇野行信師『人と生まれて』p.99〔240527 #アサポス vol.57〕#言葉 #仏教 pic.twitter.com/BMqpWm1WXn
「実は憎い人、可愛い人というのは、自己中心的な想念が描き出した虚構の幻影に過ぎないのです。」『仏と人 28』p.25〔240526 #アサポス vol.56〕#名言 #法話 pic.twitter.com/rsfdHNPcrj
「物というものも、そのものの価値は他の物とくらべてそのちがいがわかるというものである。」『仏と人 28 』p.37〔240525 #アサポス vol.55〕 pic.twitter.com/OjPj4VJybU
「仏教では「生」と「死」とを別々に考えない。生の終点が死ではなくて、生きているということは、死とともに生きているということである。」『仏と人 27』p.21〔240524 #アサポス vol.54〕 pic.twitter.com/IUwVZxp8wB
「蓮如上人も仰せられているように「理を見て情を折る」のが仏弟子の生き方なのです。正しい道理に従って少しでも我執をなおしていこうと努めることが大切なのです。」『仏と人 28』p.27〔240523 #アサポス vol.53〕 pic.twitter.com/Vh7MXuGj56
「大人が子どもにおこるのは、ときには機嫌が悪いから、ということもありますが、本気でおこるのは、善き方に導きたいという気持ちからです。おこらなくなったのは、大人が心が広くなったからではなく、おこる自信をなくしたからでしょう。」『仏と人 28』p.90〔240522 #アサポス vol.52〕 pic.twitter.com/66yhRq4GyL
「念仏の教えに会わせてもらって阿弥陀如来に後生をたすけていただくということは、人間に生まれてきたこの私が、生きる意味と方向を与えられることである。」『仏と人 27』p.27〔240521 #アサポス vol.51〕 pic.twitter.com/9s6clzt8mE
「念仏の功が積もるということは、たくさんお念仏を称えて功徳をため、それでお救いにあずかろうとするような、まるで貯金をするようなことではございません。お念仏によって心が育てられ続けていくということです。」『仏と人 28』p.18〔240520 #アサポス vol.50〕 pic.twitter.com/sDm9xth1o1
「孤独とは独りの時に感ずるよりも、人がいるときに感ずることの方が多いと私は考える。」『みちしるべ-八正道シリーズ 正思惟-正しい考え方』p.129 仏教伝道協会〔240519 #アサポス vol.49〕 pic.twitter.com/6YzdtITJfg
「無常には壊れていくという側面と新たなるものが生まれるという別の側面もある。」『みちしるべ-八正道シリーズ 正思惟-正しい考え方』p.22 仏教伝道協会〔240518 #アサポス vol.48〕 pic.twitter.com/z87O9sLd6t
「ものがなければ苦しみ、あっても苦しむというのは、結局、ものを私がどのようにみているか、ということではないか。」『みちしるべ-八正道シリーズ 正思惟-正しい考え方』p.114 仏教伝道協会〔240517 #アサポス vol.47〕 pic.twitter.com/KjEajt8EzQ
「「怨みは水に流し、恩は石に刻め」というものがある、中国の古い言葉である。なかなかこうはいかない。むしろ逆である。「怨みは石に刻み、恩は水に流し」ているのが私たちの現実ではないか。」『みちしるべ-八正道シリーズ 正思惟-正しい考え方』p.55 仏教伝道協会〔240516 #アサポス vol.46〕 pic.twitter.com/mkmwtzTfgu
「仏教という薬があってもそれを服用しなければ私の身にならないというたとえもある。どんないい薬であっても、その効能書きを読んでいるだけではなんの効果もない。まず服用することである。その薬が私たちの病いを治してくれるのである。」『正しい考え方』p.17 〔240514 #アサポス vol.44〕 pic.twitter.com/l6jVpj5UqV
「縁は出会いだけではない。別離もまた縁である。」『みちしるべ-八正道シリーズ 正思惟-正しい考え方』p.63 仏教伝道協会〔240513 #アサポス vol.43〕 pic.twitter.com/PNksEWmNss
「釈尊には「おれがこの仲間を導くのだ」という意識はなかった。では何が導くのか。それはダルマ(法)である。人間の真実、それが人を導くのである。」中村元師『ブッダ入門』p.202〔240512 #アサポス vol.42〕 pic.twitter.com/vgnuhzDfuO
「「中道」は、どっちつかずという意味ではありません。漢訳仏典では、「至要之道」という訳語もあります。これはいい訳だと思います。肝心かなめの道だというのです。具体的には「不苦不楽の中道」です。」中村元師『ブッダ入門』p.158〔240510 #アサポス vol.40〕 pic.twitter.com/8Tnq7Kw3X2
「社会生活が似ていたから、そこに成立する習俗、あるいはメンタリティにどこか共通するものがある。そこに仏教が受容される素地のようなものがあったのです。」中村元師『ブッダ入門』p.18〔240509 #アサポス vol.39〕 pic.twitter.com/AkavYZpm8W