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郡山城を訪れて改めて感じたのは、巨城ではあるものの吉田自体が中国地方の中心に収まるには狭隘で山間に過ぎるという点です。 天下の覇権争いに加わるなら、遅くとも尼子氏を滅ぼす頃には山陽道に本拠を移すべきだったでしょう。それができなかったのは、毛利氏の限界を表しているように思いました。 pic.twitter.com/DWJRtnDqLl

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うじょう@y_ujoh

みんなのコメント

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毛利氏の成長に合わせて、鉄が必要になり、安芸国北部で砂鉄の採取と製鉄業が盛んになり、多くの土砂が流れて、今の広島市あたりが三角州になって行ったそうですね。たたら製鉄を調べると、その当時中国大陸の河川の河口に多くの土砂が流れ、やがて都市になっていったようですね。

tadaakifujimaru@historyjapanfro

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