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#拾遺和歌集』撰者も #源等 の娘の自裁事件に対する #藤原敦忠 の態度については不誠実だと見ていたのかもしれない。 特に賀の歌の配置は敦忠の真意を疑うような感じが見て取れる。 雑賀に採られた歌で敦忠の歌の前に置かれた #藤原公任 の歌からみてみると 詞書は 左大臣.藤原道長が東三条院(円融天

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#藤原敦忠 の長男.助信を産んで後 自裁したと思われる #源等 の娘の歌は残っていない。 『#後撰集和歌』春に敦忠と等の娘の子の家人の贈答歌が採られているのだが その前に置かれた橘公平の娘の歌は 等の娘が詠んだかもしれない歌として撰者が収載したのかもしれない。 詞書は 県(あがた)の井戸という

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皇 の女御.詮子)の40歳の賀をした席で上達部が盃を取って歌を詠んだ時に 👇 君が代に 今幾度か かくしつゝ うれしき事に あはんとすらん (君の世に、さらに もう何度このようにして嬉しい事に巡り会いたいと思うでしょうか) ↑この歌は1001年10月 #藤原公任 35歳の時の歌なので 敦忠(37歳)の死か

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