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『#拾遺和歌集』雑秋 収載 #恵慶法師 の「奥山に…」の歌の前には #凡河内躬恒 の歌が置かれている。 これも為子内親王関連の歌で 若年出産をすることになった為子内親王の安産と健康を願って 義理の兄である #陽成上皇(29歳)が甲斐(山梨県)の都留に米を買いに行かせたのだ。 詞書は 延喜御時、月次御
『#拾遺和歌集』雑秋 収載 #藤原忠平 の #百人一首 歌「小倉山…」の歌の2つ前に #恵慶法師 の歌がある。 為子内親王の死(899年)について詠まれた歌のようだが 恵慶は まだ生まれてなかったはずだから 語り伝えを耳にして感懐を詠んだのだろうか。 詞書は 祓(はらへ)しに、秋 唐崎に まかり侍りて、舟
『#拾遺和歌集』雑秋 収載 #藤原忠平 の #百人一首 歌「小倉山…」の歌の2つ前に #恵慶法師 の歌がある。 為子内親王の死(899年)について詠まれた歌のようだが 恵慶は まだ生まれてなかったはずだから 語り伝えを耳にして感懐を詠んだのだろうか。 詞書は 祓(はらへ)しに、秋 唐崎に まかり侍りて、舟
#鶴(つる)が鳴く←も悲しみを象徴する景物なのだが なぜだろう? 鶴には " たづ "←という別の呼び名があって 歌には専ら " たづ "←が用いられた。 " たづ かなし "=鶴悲し←なので たづ(鶴)鳴く←は " 泣く.亡く.無く "←などに掛かり 悲しのメタファーだ。 また " たづか なし "←は " 方便無し=手
" 海人(あま)の子 "←は 漁師の子 のことなのだが 賤しい身分の者の喩えでもあり 舟に住んで世渡りを するところから #遊女 も指す。 遊女を利用して搾取に加担する🇯🇵男性は昔からいたのだが 最底辺の女性搾取の🇯🇵構造と本質を見抜いて批判する者もいた。 #恵慶法師 も その1人で『#拾遺和歌集』雑恋
秋←の音は " しゅう(しふ)")で 集(書物)そして物語も指すと思う。 風←は世俗を風刺した詩 詩歌人達は #恵慶法師 の #百人一首 歌「八重葎…」のように参集して 情報や書物を持ち寄り 語り合い 書き記して、書物『#竹取物語』のような物語を成立させたんだろうなぁと思う。 それから創作者達は 印刷技
#恵慶法師 の #百人一首 歌「八重葎…」の歌は『#拾遺和歌集』秋 収載 その前に置かれているのは #紀貫之 の #醍醐天皇 の時代の屏風歌 " 秋 "←の音読み " しゅう "←を今度は " 集 "←にも変換するのかな?と私は思った。 👇 荻の葉の そよぐ音こそ 秋風の 人に知らるゝ 始(はじめ)なりけれ (荻の
百人一首48 #恵慶法師 は男性歌人のサロンとか歌人コミュニティの常連だったらしい 『#拾遺和歌集』秋 に採られた歌は そんな参集の場の雰囲気が感じられる。 詞書は 河原院にて 荒れている宿に秋が来ている という趣向で人々が詠んだので 👇 八重葎(やへ むぐら) 茂れる宿の さびしきに 人こそ見
野辺が生きているのでは?と思わせる歌が『#拾遺和歌集』春 にある。 小弐命婦が天徳内裏歌合(960年)のために詠んだ。 👇 あしひきの 山隠れなる 桜花 散り残れりと 風に知らるな (山に隠れている桜花よ、散り残っていると風に知られるな!) 960年なので #藤原伊尹 は36歳、小弐命婦は52歳くらいか
『#新勅撰和歌集』雑歌に採られた #藤原伊尹 の歌 言葉は 内裏のに設けられた役人.女官のための曹司(部屋.詰め所)に のべ(野辺)という童に語り伝えて文など与えたのだけれども のべ が死んだと知った秋に詠んだ 👇 白露は 結びやすると 花すゝき とふべき野べも みえぬ秋かな (白露は結んで=できて
#藤原伊尹 が小弐命婦と付き合い始めたのは侍従だった18~22歳頃 命婦は伊尹の父.師輔と歳が近いと思われるので34~38歳ぐらいか 伊尹の性格からすると果たして これは恋なのか?と思ってしまう、どうしても ゲーム感覚の恋の鞘当てごっこ、ターゲット落としのような感じか? 『#拾遺和歌集』恋 収載の伊尹
#藤原伊尹 は小弐命婦という かなり年上の女性とも付き合っていた。 彼女は #朱雀天皇 #村上天皇 や伊尹の同母妹の安子(3歳年下で村上天皇中宮)の乳母だったとされる。 『#拾遺和歌集』恋 収載の小弐命婦の歌からは伊尹の不埒さが伝わってくるような↓ 詞書は 一条摂政(=伊尹)が、内裏に おいては便宜
#百人一首 46 『#拾遺和歌集』恋 収載の #藤原伊尹(忠平の孫で師輔の長男) の歌だが自白の歌のようだ。 伊尹は敦忠(時平の3男)よりも18歳年下で共に権門のぼんぼん 彼も遊びで女性と付き合ったあげくに死なせたのでは?と私は思ってしまった。 敦忠の件があったからか暈してはいるが己の不義を書き残し
#百人一首 45 『#後拾遺和歌集』恋 収載 #清原元輔 の歌 元輔は #藤原敦忠 より2歳年下で #源等 の娘の自裁事件を同年代で経験した。 『後拾遺和歌集』撰者も定家も 事件に対する感懐を詠み込んだ歌と見て採ったと思われる。 詞書は 心変りて侍りける女に、人に代りて (変心して気が変わった女のもと
『#拾遺和歌集』恋 収載の #藤原朝忠 の #百人一首 歌「逢ふ事の…」歌の次に置かれた歌は #平兼盛 の 題知らず のこちら 👇 逢ふ事は かたゐざりする みどり児(ご)の たゝむ月にも 逢はじとやする (逢う事が困難😧ハイハイする乳児が立つであろう月にも逢うまいとするのですか?) " かたゐ "←は
『#拾遺和歌集』恋 収載の #藤原朝忠 の #百人一首 歌「逢ふ事の…」歌の前に置かれた歌は 題知らず よみ人知らず この歌も #源等 の娘の自裁事件の関連歌として読む歌だと思う。 👇 恋と言へば 同じ名にこそ 思ふらめ いかで我が身を 人に知らせむ (恋と言えば同じ言葉のように思う場合においてこ
『#拾遺和歌集』恋 収載の #藤原朝忠 の #百人一首 歌「逢ふ事の…」歌の前に置かれた歌は 題知らず よみ人知らず この歌も #源等 の娘の自裁事件の関連歌として読む歌だと思う。 👇 恋と言へば 同じ名にこそ 思ふらめ いかで我が身を 人に知らせむ (恋と言えば同じ言葉のように思う場合においてこ
#百人一首 44 『拾遺和歌集』恋 収載の #藤原朝忠 50歳の時の歌 定家 が敦忠の「逢ひ見ての…」の歌の次に朝忠の歌を採っているのは関連歌として読めるからだと思う。 詞書は 天暦御時歌合=960年4月の #村上天皇(35歳)が行った天徳内裏歌合に 👇 逢ふ事の 絶えてし なくは 中々に 人をも身をも 怨
【おすすめ本 #ビギナーズクラッシックス #拾遺和歌集】 拾ひたる 石は巌と なりにけり 遺せしことを いかでひらかむ 道長、公任、道綱母、紫式部...。歴史書では分からない生の声、そして、#大河ドラマ「#光る君へ」を彩る人々の実像の一端が「和歌」る一冊です。 #川村裕子 著 #KADOKAWA pic.twitter.com/51ms4bDqY7
『#拾遺和歌集』哀傷に #藤原敦忠(24歳)の歌が採られている。 この時、妻の1人 #源等 の娘が健在だったのかどうか分からないが 意味深な歌だ。 詞書は 朱雀院の四十九日の法要に池の一面に霧が立ち込めたのを見て 👇 君なくて 立つ朝霧は 藤衣 池さへきるぞ 悲しかりける (#醍醐天皇 が亡くなって
#百人一首 43 #藤原敦忠(時平の3男)の歌は『#拾遺和歌集』恋 収載 百人一首歌人の #右近 の恋人だったようで、後に別れたらしい #源等 の娘は敦忠の妻の1人で彼女との間には息子1人を授かっている。 👇 逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物も 思はざりけり (彼女と逢見て契り 関係を結んだ後の