ポスト

ティトーの右腕のスロベニア系のカルデリュが亡くなって翌年1980年にクロアチア系のティトーもなくなる。加えて1980年代には経済的にも実質的なデフォルトに陥ってユーゴスラヴィアに求めて人々の生活は苦しくなっていく。そこでティトーの共産主義の問題点が特にセルビアで強調されていくわけ。

メニューを開く

マサ・ミチコヴィッチ@piletochan

みんなのコメント

メニューを開く

つまりこの共産主義=うそばかりというクストリッツァの描き方もきわめてセルビア的なのよね。まぁ、もちろん他の共和国やコソボなんかでもそれぞれ不満が高まっていたわけだけど。本当はティトーの共産主義時代の功績も色々あったという見方も今はあるらしいのだけど、そういう側面は強調されない。

マサ・ミチコヴィッチ@piletochan

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ