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#光る君へ 正暦5年の疫病対策として、道隆は、平安時代の月並みな施策である読経、臨時仁王会、奉幣等を行い民に寄り添う姿勢を示した。 逆に、道長は、寛弘8年5/22一条天皇が突如重体となるや否や、比叡山に読経を命じるどころか、此れ幸いと譲位の策動を開始し3日後には譲位の易筮を行わせた。 #読了

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砂崎良【SazakiRyo】@SazakiRyo

>それにしても当時出来たことといえば祈祷ぐらいなもので、特別道隆が何もしなかったわけじゃないのに。 #光る君ヘ 、道隆が「比叡山に読経を命じた」というくだりは、本当に↑のように感じましたな〜。 当時はそれが【最先端の施策】で、◯◯の経を読ませたらどうだったって記録をしっかり取ってた

秋津の宮@敷島の大和の国の美しい自然、和歌、平安装束@Akitsuno_Miya

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道長による、一条天皇譲位の策動は 『一条天皇』(倉本一宏著,吉川弘文館,2003年発行)P189-P199に詳しい。 「すでに彰子から皇子が生まれた以上、今度は一条に早く譲位してもらった方が、道長にとっては好都合だったのである。」(P189) 病人を思う道隆と違い、「これを奇貨としたのが道長」(P189)だ。

秋津の宮@敷島の大和の国の美しい自然、和歌、平安装束@Akitsuno_Miya

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しかも、道長に一条天皇が寝ている部屋の隣で占い結果について話し合い、目を覚ました天皇は全部聞いてしまい、心が折れて抵抗する気力なくいいなりに退位。以上の経緯を全て行成に打ち明けたため、権記に記録されている。本当に父親そっくりですね、道長は。

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