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行政の長の責任を問うという論があのときに一切なかったことそれ自体が、「これは一つの予定された物語」なのだと感覚的に思っているし、絶望したのは、そこを追及するべき立憲主義的立場が、国葬がどうした、宗教がどうした、にみるみるうちにはまっていったことだ。そこからもう一度解き直すのが先。

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鎌田桂輔 keisuke kamada@keisukekamada11

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