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天文7年(1538年)、日向国志布志の新納氏は所領を失い、一族は離散する。 #新納忠澄 には新納忠祐という兄がいた。その子に #新納祐久 がいる。天文7年に新納祐久は叔父の縁を頼って #島津忠良 に仕官する。で、その新納祐久の嫡男が #新納忠元 である。 #新納氏 #島津氏

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ふひとべのべ@benobe5858

島津忠良の母は、#新納是久 の娘。#常盤 という名も伝わっている。 この母が、甥の #新納忠澄 を呼び寄せ、菊三郎(島津忠良)に学問を教えさせた。新納忠澄の子は #新納康久 といい、#島津忠良 #島津貴久 の家老を務めた。また、新納康久の子には #新納久饒 #新納旅庵 #新納忠秀 がいる。 #新納氏

ふひとべのべ@benobe5858

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現在鹿児島県に編入されている志布志がもともと日向国に属していたことは知らない人が多いと思います

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