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薩摩国鹿児島の清水城跡。多賀山公園(東福寺城跡)から見る。山城の感じがわかる。 清水城は嘉慶元年・元中4年(1387年)に島津元久が築城。15世紀半ばまで島津氏の拠点であった。麓の中学校のあたりには居館が置かれていた。 #清水城 #島津氏 #島津元久 #鹿児島の城 #鹿児島市 #鹿児島県 pic.twitter.com/acfhnmpvY5

ふひとべのべ@benobe5858

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#島津忠良 #島津貴久 #島津義久 に仕えた新納氏は、#新納是久 から続く家系。#島津忠良 の母は新納是久の娘(名は常盤とも)。この新納一族は島津忠良の母方の縁者ということになる。 #新納氏 #島津氏 略系図はこんな感じ↓ pic.twitter.com/nbhNNitAIT

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新納氏は島津支族である。戦国時代の新納忠元や新納旅庵などがよく知られている。島津氏の歴史を追っていくと、要所要所で新納一族が登場する。ちなみに、島津忠良(島津日新斎)の母も新納氏の出身である。 #新納氏 #島津氏 #新納忠元 #志布志 #大口 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2023/02/…

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天文7年(1538年)、日向国志布志の新納氏は所領を失い、一族は離散する。 #新納忠澄 には新納忠祐という兄がいた。その子に #新納祐久 がいる。天文7年に新納祐久は叔父の縁を頼って #島津忠良 に仕官する。で、その新納祐久の嫡男が #新納忠元 である。 #新納氏 #島津氏

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島津忠良の母は、#新納是久 の娘。#常盤 という名も伝わっている。 この母が、甥の #新納忠澄 を呼び寄せ、菊三郎(島津忠良)に学問を教えさせた。新納忠澄の子は #新納康久 といい、#島津忠良 #島津貴久 の家老を務めた。また、新納康久の子には #新納久饒 #新納旅庵 #新納忠秀 がいる。 #新納氏

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薩州家の島津義虎には6人の息子がいる。 #島津忠辰 #島津忠隣 #島津忠清 #島津忠栄 #島津忠富 #島津忠豊 母は島津義久の長女で、名を「於平」「御平」という。#島津義久 の血も入っているこの薩州家の兄弟は、数奇な運命をたどる。 #島津氏 #薩州家 #島津義虎 #於平 #御平 rekishikomugae.net/entry/2023/08/…

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薩摩国伊集院の一宇治城跡。 気軽に散策するにはイイ感じの山城だ。城山公園として整備。場所がわかりやすく、広い駐車場もある。あるきまわると、あちこちに山城の痕跡がある。曲輪とか堀とか土塁とか。 #一宇治城 #伊集院氏 #島津氏 #伊集院 #日置市 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2021/06/…

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天正15年(1587年)4月、#豊臣秀吉 は薩摩国出水に入る。#川内 には #小西行長 #脇坂安治 #加藤嘉明 #九鬼嘉隆 らを派遣し、豊臣軍が #平佐城 を囲む。#島津氏 配下の #桂忠昉#桂忠詮)が籠城。城は落ちない。そんな抵抗もあって、豊臣秀吉も川内に入ることになったという。 #薩摩川内市 #鹿児島県

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薩摩国の医王山正智院泰平寺。豊臣秀吉が本陣を置いたところ。かなりの数の兵をこの地に駐屯させていたということは、ものすごく規模の大きな寺院だったみたい。 #泰平寺 #豊臣秀吉 #島津義久 #島津氏 #塩大黒天 #川内 #薩摩川内市 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2024/04/…

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豊州家の島津忠朝は、日向国の飫肥・櫛間などを領していた。永正16年(1519年)の頃に大隅国日当山とも何か関わりがあったのかな? 調べても、よくわからず。 #島津氏 #豊州家 #島津忠朝 #西光寺 #日当山 #霧島市 #鹿児島県

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日当山の日吉山王神社にて。 『本藩地理拾遺集』によると、永正16年(1519年)の棟札に「當檀那大願主 嶋津豊後守藤原忠朝」とあるという。#豊州家 の #島津忠朝 のことみたい。「奉行日置美作守俊久」の名も。#日置美作守 は豊州家の重臣。 #日吉山王神社 #西光寺 #日当山 #霧島市 #鹿児島県

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宥印法印の墓。川内の泰平寺の墓地にある。天正15年(1587年)に豊臣秀吉が泰平寺に陣を置いた。宥印はそのときの住持で、島津義久が豊臣秀吉に面会するときにその仲介もした。 #宥印 #泰平寺 #島津義久 #島津氏 #豊臣秀吉 #川内 #薩摩川内市 #鹿児島県 pic.twitter.com/K2yLlRjSK1

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薩摩国の医王山正智院泰平寺。豊臣秀吉が本陣を置いたところ。かなりの数の兵をこの地に駐屯させていたということは、ものすごく規模の大きな寺院だったみたい。 #泰平寺 #豊臣秀吉 #島津義久 #島津氏 #塩大黒天 #川内 #薩摩川内市 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2024/04/…

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薩摩国の医王山正智院泰平寺。豊臣秀吉が本陣を置いたところ。かなりの数の兵をこの地に駐屯させていたということは、ものすごく規模の大きな寺院だったみたい。 #泰平寺 #豊臣秀吉 #島津義久 #島津氏 #塩大黒天 #川内 #薩摩川内市 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2024/04/…

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大隅国の岩剣城跡。その尾根の先っぽのほう。城域のうちでもっとも高い場所(標高220m)で、眺めがいいぞ。ここで狼煙を焚いたりもしたそうだ。 #岩剣城 #岩剣城の戦い #大隅合戦 #祁答院氏 #蒲生氏 #島津貴久 #島津氏 #姶良市 #鹿児島県 pic.twitter.com/zhyOgdVykv

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天文23年(1554年)、島津貴久は大隅国の岩剣城を攻めた。島津義久・島津義弘・島津歳久はここで初陣を飾る。攻城戦で鉄砲を使用した記録も。岩剣城を落とし、帖佐や蒲生の攻略の足掛かりとした。 #岩剣城 #城跡 #大隅合戦 #島津貴久 #島津氏 #姶良市 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2021/04/…

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大隅国の岩剣城跡。その本丸跡とされる。土塁には石組みも見られる(写真の左奥のほう)。土塁の向こう側には空堀がある。 #岩剣城 #岩剣城の戦い #大隅合戦 #祁答院氏 #蒲生氏 #島津貴久 #島津氏 #姶良市 #鹿児島県 pic.twitter.com/z8esQ7Bv1v

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天文23年(1554年)、島津貴久は大隅国の岩剣城を攻めた。島津義久・島津義弘・島津歳久はここで初陣を飾る。攻城戦で鉄砲を使用した記録も。岩剣城を落とし、帖佐や蒲生の攻略の足掛かりとした。 #岩剣城 #城跡 #大隅合戦 #島津貴久 #島津氏 #姶良市 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2021/04/…

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滝観音。滝見観音とも。加治木の龍門滝にある、滝見の展望所がある丘の上に。寛政11年(1799年)に島津久徴(加治木島津家の当主)が建てさせたもの。 #観音像 #龍門滝 #島津久徴 #加治木島津家 #島津氏 #加治木 #姶良市 #鹿児島県 pic.twitter.com/bsW8egoA46

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龍門滝。ひさしぶりに立ち寄ってみる。この日は、なんだか穏やかな感じ。水量少なめかな、と。 #龍門滝 #滝 #加治木 #姶良市 #鹿児島県

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#後醍院宗重#後醍院喜兵衛)という人物が #島津氏 の家臣にいる。関ヶ原の撤退戦(#島津の退き口)では殿を務めた。肥後国八代の出身で、当初は相良義陽に仕えていた。後醍院氏は源姓(後醍醐源氏)を称する。初代は #懐良親王 を父とし、#菊池武光 の妹を母とするという(『西藩烈士干城録』より)

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島津家久は戦国時代の九州の勢力図をぶっ壊した。その戦績をまとめてみた。 それにしても、島原合戦(沖田畷の戦い)はわけがわからない、と改めて思う。なんで勝てたのか、と。 #島津家久 #島津氏 #高城川の戦い #耳川の戦い #沖田畷の戦い #戸次川の戦い #戦国時代 rekishikomugae.net/entry/2024/03/…

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忠元神社。大口に鎮座する。御祭神は新納忠元。天保15年(1844年)に創建。大口で農地開発が行われる際に、精神的拠りどころとして新納忠元が祭られることになった。大口の領民に慕われていたことがうかがえる。 #忠元神社 #新納忠元 #新納氏 #島津氏 #大口 #伊佐市 #鹿児島県 pic.twitter.com/5mvjShIipQ

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新納氏は島津支族である。戦国時代の新納忠元や新納旅庵などがよく知られている。島津氏の歴史を追っていくと、要所要所で新納一族が登場する。ちなみに、島津忠良(島津日新斎)の母も新納氏の出身である。 #新納氏 #島津氏 #新納忠元 #志布志 #大口 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2023/02/…

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『戦国武将列伝11 九州編』(戎光祥出版)を読んだ。いい本です! 九州の戦国時代は大友・龍造寺・島津の三大勢力の争いに。その狭間で生き残りをかける者たち(隈部・城・有馬・田尻・秋月など)の動きも興味深い。 #戦国武将列伝 #大友氏 #龍造寺氏 #島津氏 #戦国時代 rekishikomugae.net/entry/2023/07/…

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『本藩人物誌』『西藩烈士干城録』『島津世禄記』『島津世家』『明赫記』などを、島津氏の歴史を調べるときによく参考にする。これらは「鹿児島県史料集」にて刊行。鹿児島県立図書館のホームページでも読める。pdfが公開されている。 #鹿児島県立図書館 #島津氏 #歴史書 rekishikomugae.net/entry/2023/04/…

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新納氏は島津支族である。戦国時代の新納忠元や新納旅庵などがよく知られている。島津氏の歴史を追っていくと、要所要所で新納一族が登場する。ちなみに、島津忠良(島津日新斎)の母も新納氏の出身である。 #新納氏 #島津氏 #新納忠元 #志布志 #大口 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2023/02/…

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天文23年(1554年)、島津貴久は大隅国の岩剣城を攻めた。島津義久・島津義弘・島津歳久はここで初陣を飾る。攻城戦で鉄砲を使用した記録も。岩剣城を落とし、帖佐や蒲生の攻略の足掛かりとした。 #岩剣城 #城跡 #大隅合戦 #島津貴久 #島津氏 #姶良市 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2021/04/…

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島津忠良(島津日新斎)は、もともと島津支族の伊作氏の出身だ。父の伊作善久は馬丁に殺され(暗殺か)、祖父の伊作久逸も戦死する。まだ幼い子(のちの忠良)を抱え、母が伊作家を守った。 #島津忠良 #島津氏 #伊作氏 #日置市 #吹上町 #鹿児島県 rekishikomugae.net/entry/2021/09/…

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