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飛田瀬(とびたせ)。永禄11年(1568年)の堂崎原の戦いの激戦地。島津忠平(#島津義弘)が寡兵で堂崎原に撃って出るが、多勢に囲まれて敗走。飛田瀬で #川上久朗 が踏みとどまって奮戦し、島津忠平は羽月川を渡って戦場を離脱することができたという。 #島津氏 #菱刈氏 #相良氏 #伊佐市 #鹿児島 pic.x.com/3HyqqGYaRW x.com/benobe5858/sta…
薩摩国羽月の堂崎原(どうさきばる)。鹿児島県伊佐市の大口金波田や大口堂崎のあたり。羽月川が回り込むように流れていて、その内側に水田が広がっている。 永禄11年(1568年)、島津忠平(#島津義弘)が寡兵で堂崎原に撃って出た。#相良氏 #菱刈氏 の大軍に囲まれて大敗した。 x.com/benobe5858/sta…
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薩摩国羽月の堂崎原(どうさきばる)。鹿児島県伊佐市の大口金波田や大口堂崎のあたり。羽月川が回り込むように流れていて、その内側に水田が広がっている。 永禄11年(1568年)、島津忠平(#島津義弘)が寡兵で堂崎原に撃って出た。#相良氏 #菱刈氏 の大軍に囲まれて大敗した。 pic.x.com/c51x8S10Vo x.com/benobe5858/sta…
薩摩国伊佐郡の堂崎原。羽月川にかかる堂崎橋より見る。川をはさんで手前のほうは大隅国菱刈郡。 永禄11年(1568年)1月20日、島津忠平(島津義弘)は堂崎原の相良氏・菱刈氏連合軍に攻めかかった。兵数は諸説あるが、自軍は300ほど、敵軍は3000以上。衆寡敵せず、島津忠平は敗走。 #伊佐市 #鹿児島