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文政12年5月2日(1829年) 昼過ぎから大雷雨、雹降る。雹は梅ほどの大きさ。この雹で、谷原の菜種は半分以上打ち落とされたという。 その後晴れる。相馬長門守様ご宿泊の為、両御奉行の御見分あり。町年寄は和泉屋金之丞殿が見分に参加。名主と町年寄は立付羽織で桜橋まで出迎え #色川三中 #家事志

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断感ろーれんす@tk23956

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(コメント) ・雹により土浦周辺で被害が出ています。 ・「相馬長門守」は、中村藩(現福島県相馬市等)の大名相馬益胤のこと。中村藩は福島県浜通りにあり、参勤交代の途中で土浦での宿泊をするのでしょう。土浦藩は町役人と共に準備に余念がありません。

断感ろーれんす@tk23956

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