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泡鳴の章で藤村の文体に触れながらのくだり。 「大江という人が松山の奥の肱川上流の、あの「おはなはん」と結びつけられてすっかり有名になった大洲の、そのまた奥の山間に少年時代を過して、だんだんと中央へと出てくるにつれて、防備のために一つずつ形容詞や副詞をつけてきた様子が、しのばれる。

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東條慎生@後藤論刊行@inthewall81

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彼は中央へ出るにしたがって外国文学をとり入れた。こうして彼の形容詞や副詞はきわめて外国文学ホンヤク風になっている。それはインギンでどこか不遜で、何ものかを茶化したように見える。」272P

東條慎生@後藤論刊行@inthewall81

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