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秀頼個人の資質や上方や諸大名の反応などを家康がどう感じて豊臣家の処遇の判断に繋げたか興味深いなぁ

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1611年5月10日(慶長16年3月28日)豊臣秀頼と徳川家康が二条城で会談しました。 妻 千姫の祖父に挨拶するという名目のもと、加藤清正、浅野幸長に守られつつ上洛し、家康と会見しました。 この会見の意義については、家康への臣従、秀頼が家康との対等性を維持したなど見解が分かれています。

ゲンパン@whrockinbeach

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