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観光史観といえば、この八代市教育委員会の冊子などはまさに観光史観からの脱却の第一歩だと思う。熊本城のいわゆる扇の勾配の石垣は「武者返し」が目的であるという話は後世の付会に過ぎず、単に後世の石垣と比べて技術が未熟だったからそうなっただけだろうという話。
メニューを開くストライクフォース@kamaeatte
八代市教育委員会の冊子「国史跡 八代城跡」の中で、熊本城のいわゆる「扇の勾配」の石垣は勾配を緩やかにすることによって城内にデッドスペースが増え、高さでも細川期のより急勾配の石垣に劣る傾向があることから、細川期の石垣の方が進歩した技術であるとはっきり書かれているのが新鮮だった。
みんなのコメント
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某先生の「大坂の陣の時点で大坂城の縄張は時代遅れとなっていた」という記事に対して「逆張り記事だ」とか「太閤秀吉の名城が時代遅れなわけないだろ😡」みたいに怒っている人がいたけど、城を兵器として評価する場合はそういう歴史ロマンや観光史観を排して公平な目で見なければならないと思いますね