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奴隷がいると、テクノロジーが発展しない説。つまり面倒な仕事を全部奴隷にやらせてしまうから機械化するメリットがないというものは、「ローマはなんでそのまま機械文明に突入しなかったの」を説明できるので、素直に受け入れていたんですが、よくよく考えると産業革命時に奴隷はいたんですよね……。
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ワットが蒸気機関を改良したのは1769年(ニューコメンが鉱山の排水のためのポンプを機械化したのは1712年)アメリカの奴隷廃止は1865年、ケンタッキー州で解放されたのが最後。100年もタイムラグがある。イギリスはちょい早いけど、それでも1830年。
イギリスの産業革命の場合、急速に植民地広げすぎたせいで 「奴隷いくらいても人手足んねぇ!!」的なムーヴがあったのも事実。 既存労働力でこなせる仕事量以上に、仕事そのものが存在して初めて、しゃぁねぇ資金入れて装置導入すっかー、となるのよね(弊社のDX化の実情見ながら)
奴隷がいると、テクノロジーが発展しない説自体は成立すると思います。ただ、100年前の自動車は少し走ったらすぐに故障し、馬の方が100倍便利だったように、新技術がまともに機能するようになるのには時間がかかりますから、新技術の普及速度の原因を把握するのには多様な要素が絡み、
専門的ですが、『土地希少化と勤勉革命の比較史』などを読んでみることをお勧めします。収穫逓増的な生産哲学そのもの が異端であったことがわかると思います。収穫逓増的な思想は中世修道会まで遡るのですが、ここで書くには文字数がたりないので。
蒸気機関を動力として綿から綿糸を作る機械が発明されたときに、「この装置なら、奴隷何人分の仕事をこなせる」というように、奴隷から置き換えて導入するメリットが宣伝されたという話です。奴隷よりも安い・早いというのがセールスポイント。(ただ綿糸の品質は奴隷より悪かったという話もあったり)