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文学的価値が高いことを喜ぶのは、文オタ(豪)族のみ。私の『平成元年の人生ゲーム』に対する好感度が相対的に高いのは、そこに文学的野心を感じないため。作者がもし並の文学賞を目指すなら、描写により主人公が慶応大生と分っても、その名を記してはいけない。吉田修一が“法政”と書かなかったように。

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『平成元年の人生ゲーム』→『令和元年の人生ゲーム』

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