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基本的に偏差値が低い高校の生徒ほど物を知らない。 そういう子達が一般受験で現代文をやると知らない言葉や知識が多すぎて読解力以前の部分で詰まる。 小学校レベルの社会や理科の知識が具体例として使われても、そもそもその知識がないから具体例が意味をなさないという事が頻発する。
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社会に出てからもこれあると思う そもそも「一般教養」の範疇が大きくずれてくるから会話のテンポや笑いのツボなんかも劇的に違っててお互いに「この人と居ても話が通じなくてつまらない」と感じることが増える そして自然と同じレベルの偏差値同士がくっつくため生まれる子供に格差が出るのは順当
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怖いのは、大学全入によってそういった子達もどんどん大学に入るようになった事。全く勉強に興味がない高校生が大学に行っても何ら得るものはない。かといって、昔なら高卒が当たり前だった仕事や企業に、増えた大卒がどんどん応募してくるようになった。結果として、高卒だと就活しにくいから、そんな…
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仰る通りだからキツいんだな。 その為、低偏差値(50以下)の普通科高校は廃校にして実業高校に行かせるか職業訓練校を経て中卒で働かせろという主張に対する反論が出来難い。 近年は小学校から学習科目数が増え、本人の学習意欲と家庭環境の優劣が一層如実に現れてしまう様になったし。
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経験の機会を増やして、日常的な知識の蓄積を応援したいです。そのためにはインプットと同時にアウトプットの習慣をつけること。どんな意見でも知識でも人に話すことを続けると、そのための情報を取り入れるようになる。大切なのはアウトプットの内容が拙いからと言って、その個人を否定しないこと。