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まず前提として、室町時代の地方の寺社は「商社」としての側面が強かったと思います。江戸時代は年貢が村請中心になりますが、前段階として寺請が多かったのではないかしら。年貢を徴収し、銭にかえ、それらの記録や計算のため読み書き算術を学ばせる。不入権を土台に、経済活動を担っていたのです。

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銅大@bakagane

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秀吉が寺に入ったのは義父に疎まれたからという逸話もありますが、秀吉の出自が後の渋沢栄一レベルの富農なら、「商社」としての寺社ネットワークとつながりをもち、読み書きや算術を学ぶために寺に入ったと考える方が、後の立身出世を考えても納得度が高いと思えるのですよ。

銅大@bakagane

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