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ではそれ以前の日本人はイクラを食べていなかったのか、というとそんなことはありません。平安時代の「延喜式」(967年)にはサケとその加工品として「内子鮭」の名が記載されています。<こごもりのさけ>と読んで子籠りの鮭、つまり「筋子」をもったサケのことです。

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後の「本朝食鏡」(1697年)には<はららご>としてイクラのことが記されています。』[(食彩の王国|テレビ朝日)](tv-asahi.co.jp/syokusai/backn…) ということで昔は鮭の卵に固有名詞はなかったんだね。 まあ筋子と言っていたのかなあ。 #近くの事

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