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師から「覚者(かくしゃ)濁りて学者になる」(学者の悪口ではなく行者への戒め)と教えられました。 かつて里で加持祈祷だけして修行をしない似非山伏が増えたので、大峰山の奥駈修行が義務付けられたと聞きました。 実際に雨の鎖場とか命懸けですから神=大自然の中で己の無力さを自覚し謙虚になれます。
メニューを開く古川陽明@furunomitama
これ在家から神職や僧侶になる人が陥りやすいことでもある 自分の未熟な傲慢さを自覚せずに神職だの阿闍梨だのだと肩書に依存して威張りくさっていたり、謙虚に見えて傲慢さに磨きをかけたりしてる まだ神職資格さえないのに、教会立てて法人化したいと相談してきた女性もいたなあ