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時代のきな臭い空気を感じとっていた野上彌生子は、いざとなったら東京を捨てて北軽井沢の別荘にこもって隠遁する覚悟を決めていた。大分県臼杵の実家から毎年 野菜や米 味噌が送られていて、食糧の不安もない。日本帝国が愚かな戦争を起こすと確信しながら、1941年12月をむかえる #大脱出1939 1101 pic.twitter.com/YxFepgXBq6

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迫間健司@hazamakenj1

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野上彌生子の長男 素一は帰国すれば日本帝国に殺されてしまうため、Roma 大学で講師をしている。東京帝国大学理学部に入学した3男 燿三は在学中だが、卒業後 九州帝国大学で理学部助手になる。子の才能を生かしつつ 人脈を駆使して3男子の徴兵を忌避した彌生子の努力が実っていた #大脱出1939 1101.1

迫間健司@hazamakenj1

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