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光栄なことです。東洋哲学研究所の創設者として、両研究所の学術協力の発展をこころから念願しています。西夏(法華経)は、十一世紀から十三世にかけて、中国の西北部に栄えた仏教国です。わずか二百年ほどの間に、独自の文字を開発し、多くの経典を翻訳しました。贈られた西夏語「法華経」のもとにな
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ったのは、私たちも親しんでいる鳩摩羅什の漢訳です。それに西夏の地域には、仏教美術で有名な敦煌もあった。 須田 なにか、近しいものをかんじますね。西夏の人々は、どんなふうに法華経を読み、仏法を学んだのだろうかと。 遠藤 西夏語に、こんな確言があるそうです。「知者はおだやかに言い、人