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#菅江真澄の道 藤琴》 享和2(1802)年3月10日(新曆4月25日)夕刻、藤琴集落の渡し場で川舟を降りた真澄は、宿の「加茂屋」へ直行している。加茂屋は現在のJA藤里支店辺りにあったという。 また、その日の日記には高岩神社の伝説のほか、藤琴の地名由来についても記録している。『しげき山本』 #藤里町 pic.twitter.com/mJRFgPZXRe

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ツキのわ@秋田史跡巡り@tsukinowakuma90

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〈補足〉 真澄は「山深い村でありながら町並が整い、酒屋、染屋、紙漉き、宿屋などもあり、百姓の村なのに商人町風であった」と藤琴に着いて村落の大きさに驚いた。 昭和の初期頃まで、港町で栄えた能代町を一回り小さくしたのが藤琴村ということから「小能代」と呼ぶ人も多かったという。 pic.twitter.com/Af9lAMPl3f

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真澄が泊まったという加茂屋さんの子孫の方が、まだ藤琴にお住まいです。 たまたま祖父の法要で藤琴のお寺に行った際、加茂屋さんのお家は250回忌だと聞いて驚いた記憶があります(その前の年は別のご先祖の300回忌だったそうです)。

藤里町郷土史愛好会@Fuji_kyoudoshi

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