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やがて海へと届くは初めて観た時は理解が追い付かなかったけど、改めてじっくり観て私なりにラストのアニメーションの考察をしてみたら切なくて…津波で電車がもう来なくても駅のホームで一緒に待ってたお婆ちゃんの魂が彼岸の花になって朽ちるまですみれの魂が駅のホームに居続けたのは、
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いつかすみれを探して被災地の海を訪れるであろう真奈に見つけてほしかったからなのかな、でも体は記憶と共に海に溶けてなくなって、やがて水になったすみれの魂は雨粒となって真奈の住む部屋から見える庭に降り注ぎ、庭隅にひっそりと咲くスミレの花になって真奈の元へ帰ってきたのかな、とか考えたら