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ちなみに河内湖の水田稲作は吉備経由説があったが、土器のクセから香川県経由とする説が有力。 一方、和歌山県・堅田遺跡では大陸系石器は瀬戸内のものだが、土佐から弥生文化が入った可能性もあるとか。 後者は鴨氏の起源に関わってくる。
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ちなみに、このあたりが「弥生稲作文化の広がりの指標」と言われる「遠賀川式土器のルーツ」である可能性が高いらしい。 10世紀の西北九州水田稲作とは別に東九州もしくは土佐で成立したものが東へ広まった可能性も否定できないらしい。