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戦前の #20万分1帝国図 は美しく精緻で惚れ惚れする。大正時代初期の千葉周辺。千葉はまだ町。遠浅の干潟はどんな風景だったか。中心集落と町名が一致しない明朝体の町名は、3村1字取りの #津田沼#馬加(まくわり)の #幕張。船橋から一直線の #東金御成街道 は将軍鷹狩用にて宿場町なし。 pic.twitter.com/mEQgwU3xg8

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治田 洗礫@Harita_arayshi

みんなのコメント

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1960年頃に撮影された沿岸の干潟の光景です。 pic.twitter.com/UQtFZu8ZlU

工房うむき 博物ふぇすてぃばる! 7/20・21@kobo_umuki

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海岸沿いも印象的です(津・田・沼の三集落が並んでいて合成地名の起こりがわかりやすいです)が、内陸に入ったエリアが、まさに何もない。まだ軍関係の施設もなく、点在する小集落のまわりに樹林と草地が広がる光景だったんですね。

三丁目の大寅@usednasubay

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日本全国版見たいなぁ〜

湘南サロなチー猫@wyrh3qSkoyAb4sq

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千葉町だったのか。恐ろしい。

耳成芳一@unebian

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この地図が発行されてから45年後に稲毛に住みましたが、この海岸線は一部残ってました。それから大きく変わりました。貴重な地図提示ありがとうございます。

小太りオヤジ@kobutorioyazi

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