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→内容は消防計画の作成や組織作りについて大きくページを割いています。さらに「予想せるべき焼夷弾及び爆弾」という記述があり、空襲で大きな被害を出した焼夷弾についても、「搭載量は四頓」「仮に百機の編隊で来襲したとすれば」など、当時の米軍の爆撃能力についてはかなり把握できています。→ pic.twitter.com/KlSEdM8bul

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小樽市総合博物館(公式)@OtaruMuseum

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→にもかかわらず、戦争末期の壊滅的な被害は想定されず、「消火」を前提に考え、避難、退避についてはあまり触れられていません。この本の出版は昭和19(1944)年11月、執筆は同年9月ですので、おそらく同年6月16日のB29による北九州空襲の被害が前提になっていると思われます。→ pic.twitter.com/9ac71IBpyK

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