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気になりつつも自分の中で明確な答えが浮かばなかったんだけど、これはもしや「主観がどちらにあるかの違い」かも。 つまり孫六さんにとっての主観は根の方「折れず、曲がらず、良く斬れる関の孫六」にあって、則宗さんにとっての主観は「物語としての沖田総司の佩刀・菊一文字則宗」にある可能性
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主観が物語の方にあるなら、一文字派の祖としての扱いに居心地の悪さを感じるのもまぁ納得ではある。 歪って自分で言ってるから、物語が広く伝わった昭和以降に自分の主観が変化してしまったっていう認識でいいのかなぁ。