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「たとえばカリブ海思想研究の第一人者であり、みずからもドミニカ共和国の出身であるシルヴィオ・トレス゠セイランは、著書『カリブ海思想史』のなかで、現代思想にみられる「我々」や「世界」、「地球」といった用語の蔓延を「惑星的気取り」と一蹴する」(カリブ海の記憶と逃走/闘争する奴隷たち)
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「惑星的気取り」を、経験を「我々」や「世界」としてまるで万人共通のもの、誰もが同じときに朝を迎え、同じときに底冷えのする夜を迎えるかのような、「地球」といいながら平面であるかのように自明視することとして捉えてみると、「政治の外部としての平和」にはそのような自己中心的な思い上がり…