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「どうして資福寺は 米沢から離れたここに?」 という疑問が浮かび… 夏刈は伊達郡と置賜郡を結ぶ街道 (小坂峠ー七ヶ宿ー二井宿峠)の 要衝であったから、 という可能性に辿り着く。 愛姫の輿入れルートと同じだ😳‼️ 加えて 郡庁の地(高畠町小郡山)が近い 川の合流地点で肥沃な土地 なるほど🧐 pic.twitter.com/9n7CD3Z9us

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山内ニコ@Nicoritard

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伊達宗遠・政宗父子は 上記街道より置賜郡に侵攻し 1380年頃から支配下に置きました。 新領主となった伊達家も資福寺に 棟役・段銭・諸公事の免除や 守護不入を許可するなど 学問寺・帰依寺として保護します。 また当主の使僧として 活躍することもありました。 📷発掘された鎌倉期板碑や土塁跡など pic.twitter.com/blFiSEtrIS

山内ニコ@Nicoritard

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伊達氏八代宗遠は1380年、長井を占領、高畠城を本拠として置賜を鎮撫した。伊達氏は以後十七代政宗まで十代、210年にわたって置賜地方を領した。九代政宗から十三代尚宗まで高畠城に本拠を置いていたが十四代稙宗、十五代晴宗は梁川・西山・米沢の諸城に転々した、晴宗は1548年、米沢城を本拠とした

K-Sama@oosawak

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