ポスト

【日蓮宗の宗史100】 日向上人と日興上人の2人が身延山久遠寺に常住する体制は正応元年(1288年)に終わる。 日興上人が地主である波木井実長氏と信仰上の問題で対立し、日興上人が出て行く形になったから。 (日興上人はその後、自身の門流を作り勢力を拡大する) #作務衣チャンネル豆知識 pic.twitter.com/OF7iCbHw5B

メニューを開く

田村明啓/作務衣チャンネル/本城寺@tamuratera

みんなのコメント

メニューを開く

そもそもどういう理屈で両者とも神社に神様が常住してないと思ってるんですか? 普通に考えたら神様は神社にいそうなものですけど。

鹿苑院@rokuonin

メニューを開く

原殿御返事より 日向上人は諸岡入道宅で晩酌と踊りを嗜んだことで、日興上人が憤慨したとあるあたり、日向上人の世渡り上手な姿に対して義理堅い日興上人とは相容れない関係であったことがうかがえますね。

ららぎ@detudeturyon

メニューを開く

素人の浅はかな考えと思って下さい。 気になって、色々と調べましたが四菩薩をどうとか言う書物『波木井実長書』ですかね、あれどうも当時の本が無いみたいですよ。 日興と言う人が仏像を拝んでたかどうかは解りかねますが、どうなんでしょうか?

🚩🚩革命王🚩🚩@max_max_kakumei

メニューを開く

捨国と帰来の終わりなきバトル...(;・∀・)

前だけを観る男・andoreaのふんわりとした部屋@myallback

メニューを開く

いつも疑問なのですが、釈迦像の造立や神社参拝禁止は経文や御遺文に根拠はあるんでしょうか??

びる@nurubon1

メニューを開く

おはようございます。本日も、ともに精進いたしましょう。南無妙法蓮華経 合掌

斉藤大法 Daiho Saito(Buddhist Priest・Psychiatrist)@whidaiho

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ