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つ明治23年(1890年)7月の第一回衆議院議員選挙では、栄一本人は立候補していなかったものの人気は高く、東京5区(本所区、深川区)にて94有効票を獲得し、次点となった。一方で、同年9月29日には勅選で貴族院議員に選ばれる事となり、同年12月15日の第1回帝国議会には貴族院議員として貴族院本会議に
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出席した。しかし、以降は一切議会には出席せず、翌年明治24年(1891年)10月29日 には辞任している。 明治34年(1901年)5月16日、旧知の井上馨に組閣の大命が下った際には、真っ先に大蔵大臣としての入閣を求められたが、これも辞退している。断られた井上は、栄一が蔵相でなければ首相を引き受ける