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#柿葉の仏教通史第五章 道元の曹洞宗 262 ■言葉確認 本覚思想 仏性、如来蔵は、客塵煩悩に覆われた「仏を生み出す基体」を意味し、実際に覚を得るためには実践として苦行が必要になる。本覚は 、現実に覚りをひらいているという意味で、修行の必要性が否定され、かつ大胆な現実肯定主義となる。

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柿葉義一・かきはぎいち@u24xqjkz2l

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普勧座禅義 道元禅師が、正しい坐禅をあまねくすべての人々に勧めるために記した。坐禅の意義や、その作法や功徳について示してある。坐禅中に読誦することが多い

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行持道環ぎょうじどうかん 発心・修行・菩提・涅槃がめぐりめぐっているのではなく、行持に終わりのないことを「環」をもって表した。修行に終着点はなく、一生が修行。仏の教えに従って行じる日常生活(仏道生活)の中に仏を現成していくことが行持 ※行持ぎょうじ⇒仏道を常に怠らず修行すること

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修証一等 道元の言葉 修行を真剣に実践していること自体が、悟りを得ていることを意味する。 それゆえ、修から離れた純粋の証というものは、観念の世界に過ぎず、現実にはありえない。 修と証は一つである 修上の証 悟り(証)の上で修行(修)すること

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一個半個 人や半人という数の問題ではなく、極めて少数希少の人のことであり得難い人物のこと ※一個半個の接得 禅の教え。1人や半数という数の問題ではなく、少数希少の得難い人物・人材を育てること

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開単かいたん 新たに僧堂を開創すること。単とは、単位のことであり、僧堂の坐位を指す。対義語は閉単 波多野氏 平安時代末期から鎌倉時代にかけて相模国波多野荘(現・神奈川県秦野市)を本領とした豪族

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現成公案げんじょうこうあん 禅宗で用いる語。人の造作によらないで自然に現われている公案。一切が仏法であり、一切のうえに仏法が現われていること 目前に現れているものが、そのままで絶対の真理であることを意味しています。 ただし、それが真に自己の修行の問題に入り込んでこなければなりません

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示衆じしゅ 師家が学人に対して説法し指導すること。垂示(すいし)とも 弁道話べんどうわ 道元が宋から帰国した4年後の1231年32歳のとき、京都深草の安養院(あんよういん)閑居中に寂円(じゃくえん)、懐奘(えじょう)、了然尼(りょうねんに)その他の僧俗に示した法語

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只管打坐 雑念をいっさい捨て、ただひたすら座禅を組み、ただひとすじに一つのことに集中すること。 「只管」は、ひたすら。 「打座」は、座ること、座禅を組むこと 身心脱落 あらゆる自我意識を捨ててしまうこと。自我意識を捨て、あらゆるこだわりをなくして、真理の世界に溶け込んでいくこと

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明師 さとりの眼が明らかな師。人々を指導する力量をもった師 参学 学問をすること。特に仏教を学ぶこと 仏祖正伝 ・仏祖 仏陀と祖師のこと ・正伝 仏教が正しく伝わること。或いは、正しく伝わった教え。正しく伝えた系統 稟受ひんじゅ 天授

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