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13年後、昭和7(1932)年部分修正の京都の帝国図。#伏見 は短い市制を経て京都市に編入。行政区は境界線の記載があるが”区”は省略して太めの等線体で注記されている。醍醐、伏見、太秦に #郡役所 があるのは消し忘れ(部分修正のため)か。巨椋”池”を抜ける #奈良電。嵐山に戦前のみ短命の #愛宕山鉄道pic.twitter.com/nuW07QD3wS x.com/Harita_arayshi…

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治田 洗礫@Harita_arayshi

大正8(1919)年の #20万分1帝国図 で #京都 を見ると、まだ市域は狭い。#伏見町 まで長い市街地が繋がるが、伏見稲荷は #深草村。#百万遍 は田中村。東海道線は山科南回りの旧線。山陰線の西は田畑が広がる。#巨椋池 を突っ切る奈良電(現近鉄京都線)はまだこれからだ。淀町と淀村があったのか… pic.twitter.com/dsl7lesT8N

治田 洗礫@Harita_arayshi

みんなのコメント

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今こうして、部分修正の消し忘れ❗などと貴重な記録が私達の目に記憶として残ります。ありがたいことですね。デジタル化されると一瞬のうちに過去が消え去ってしまうんですね。寂しい限りです。貴重な記録提示ありがとうございます。

小太りオヤジ@kobutorioyazi

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