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小西文書を読むと、極端な番組ならば一つの番組のみで政治的公平を判断できる場合があるという持論に沿った答弁を要求する礒崎氏と、一つの番組のみでは判断はできないとする総務省との間で議論が平行線をたどっていたのに、1/16の礒崎レクで磯崎氏が「一般的に」という文言を使うことを提案した
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ところ、総務省が1/22に「一般論として」という文言を使った答弁案を作成したところ、なぜか突然両者が納得してその答弁案で行こうと云うことになったという不思議な場面を見ることができます。恐らく、礒崎氏は、例示した極端な場合には一般的に一つの番組のみで政治的公平に反すると判断できる