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宗春公以前にも実は目玉となる事件があって、 1612(慶長17)年に清洲から名古屋へ拠点を移す清州越しが行われると同時に、 名古屋城の守護として岐阜羽島にあった大須観音(北野山真福寺宝生院)が今の中区大須へと移転したんですね。 x.com/202101amane/st…

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天音@202101amane

なるほど、既に行事としての祭は完成されてたんですね。さすがお寺の数が日本一の愛知。芸どころ名古屋は、尾張7代藩主の徳川宗春が公認の遊郭を設置したり芝居・見世物小屋などの定小屋を建てたり、祭以外の娯楽がたくさんあったのでしょう。 歌舞伎の中村屋も祖先が名古屋市中区出身と言われてます。 x.com/amane_murakumo…

雨音村雲@藤浪永理嘉(´ 。•ω•。)@amane_murakumo

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これに名古屋城を取り囲む四方守護の古刹、尾張四観音が加わって今の名古屋の恵方参りの原型ができましたし、 大須門前町の寄席やアーケード、現在のサブカルの賑わいも家康公による尾張名古屋の都市計画がなければ無かったでしょうね。

雨音村雲@藤浪永理嘉(´ 。•ω•。)@amane_murakumo

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