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この分野は専門外で、海外情報にも疎いですが、歴史が好きだったので、ロックリー氏の著書は2018年頃に読んでました。ロックリー氏が日本の弥助が大好きなことは、著書を通じて伝わってきましたが、日本史料上の「弥助」人名の初見は、応永26年(1419年)の「若狭国太良庄守護役地下所済分注進状」です。

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巫俊(ふしゅん)@fushunia

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ロックリー著『信長と弥助 本能寺の変を生き延びた黒人侍』には、以下の記述がありますが、「弥助」は、普通の日本人の名前で、この記述は誤りです。 P197「弥助の出自についての確固たる証拠のひとつは、彼の名前である。“弥助”というのは外国の名前に漢字をあてたものであることはほぼ間違いない」 pic.twitter.com/ExwBBaNb9s

巫俊(ふしゅん)@fushunia

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