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萩谷朴という王朝日記文学の大家が戦後の二松学舎大学に勤めていたが、当時この大学は経営状況がきわめて悪く、給料がほとんど出なかった(!)という。そこで萩谷先生は世俗用の暦を自費出版して生計に充てていたとか。高島暦みたいなものだろうが、どんな物だったか見てみたいものだ。 x.com/UYE6bd8Np9Necw…
メニューを開く昨日は霞ヶ浦高校の校歌作詞が折口だったことで注目されたようだが、なぜ折口が校歌作詞を多く請け負ったか、その理由を今生きてる國學院の卒業生はどれだけ知っているだろうか。 x.com/UYE6bd8Np9Necw…