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『がんす横丁』には三瀧分院や江波分院が出てこないだけでなく、陸軍病院に関する記述がそもそもほとんどありません。廣島陸軍病院は、「廣島陸軍病院原爆慰霊碑」がある現在の広島市中区基町ではなく、似島にあったようです。劇作家小山内薫の父親が、廣島衛戍病院の院長だったことが書かれています。

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Kyoko Deguchi@wood_odd_pansy

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『広島原爆戦災誌』第3巻(28/323)の地図に、戦前の広島県庁とこれに隣接する県立病院があります。県立病院は『がんす横丁』第2巻(116/122)にも出てきますが、広島市役所庁舎が県立病院の前にあったという意味はわかりません。現在の県立広島病院がある場所は、宇品町の陸軍共済病院跡とされます。

Kyoko Deguchi@wood_odd_pansy

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