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toyokeizai.net/articles/-/829… 賢子が14~15歳頃に母の式部は他界(式部の没年については諸説あり)。長和6(1017)年、賢子は母の跡を継ぐように彰子のもとに、女房として出仕する。式部の存命中から賢子は彰子のもとに出入りしていた。彰子としても、よく知る式部の娘ならば、と考えたのだろう。#紫式部

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ニューロドクター乱夢@hichachu

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上流貴族たちに愛されながら、賢子は万寿2(1025)年、道長の兄・道兼の息子である藤原兼隆との間に娘を産んでいる。身分の差から、いわゆる「結婚」とは呼べないものだったとする見解もあるが、出産したことは確からしい。

ニューロドクター乱夢@hichachu

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