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#天皇陵古墳をめぐって #応神天皇陵 大阪府羽曳野市の巨大前方後円墳、誉田御廟山古墳について前回触れてみた。 ほぼ間違いなく応神天皇の真陵だと信じられてきた。 前回書いたように年代感がズレる。 応神天皇の崩御を西暦399年ととる説が有力だが、古墳の完成は420〜430年頃。崩御後しばらく墓が pic.x.com/Ul9S7Haald

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しょーくん@SXZMniM9HK32964

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無かったのだろうか? 応神天皇崩年を西暦430年と主張する人がいるが、それは息子の仁徳天皇の崩年と同じ時期。 やや不自然に思える。 仁徳天皇の崩御が少しあとの時代なのだろうか。 誉田御廟山古墳は間違いなく応神天皇陵と信じ続ける人々が多かった。 だから、森浩一が一時期主張していたように、

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