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があれば、同じように祟ってやろう」と誓って死去した。この憤怒が一条殿の子孫代々に祟る悪霊となったという。(『大鏡』)なお、実際には、天暦9年(955年)に二人そろって蔵人頭に任ぜられており、また朝成(天延2年(974年))は伊尹(天禄3年(972年))より後に没している。 ほかに、朝成の人物
小説を書いていましてね、この間も変な言葉を使いました〔略〕顕証という言葉を使ったのです。〔略〕『大鏡』をずっと少年時代から読んで、花山院のあそこに、「月があまり顕証なりければ」というそれがヒョッと出てくるのです。言葉というものは、そういう風に出てくる 対話・日本人論/三島由紀夫
返信先:@aokioj80sctv王様の耳はロバの耳 あ、『大鏡』にも 「もの言はましくなれば 穴を掘りて言い入れ侍りけめと」 で、秘密は土の中。でも そこから生えた草が育ってささやいてしまい、風にのってうわさは広がった。 は、どこの出典だったかしらん?
返信先:@WzsVECSnn7O9d8y他1人うつけ者の信長に見慣れているから、分かりやすいと考えて安直に使ったのでしょう。 最初の例は、『大鏡』夜御殿再現で、詮子が道長を叱ったとき。違和感ありましたが、1回目だし、詮子の悪女ぶりを表すから仕方ないか、と思いましたが…(『大鏡』では、詮子の後に道長がノコノコついていったのに、
今さら言ってもしょうがないんだけど、光る君へで福足君ネタやって欲しかったな(´・ω・`) ぐずる子供をあやす井浦道隆見たかったのに… 大鏡出典だから先生はいい顔しなかったかもだけど、謎の殺人やラブ・ファンタジーよりはマシだったと思う🤔
かなり砕けた文体なので専門外の私でも気軽に読めたが、そのぶん注意も必要なのだろう。古記録、すなわち平安朝の男性貴族が書き残した日記と、説話や『大鏡』の記述では当然性格が異なる。とはいえ、貴族たちが毎日宴を開いて雅な生活をしているわけではなかったことがよくわかる読書であった。
この前お題箱に投げてくれた人も大鏡鳴術の画像で逆ハー言ってたの見てたからと思うんだけど あれも自分の好み感情は別としてパッと見そんな雰囲気よね的なツイートで深い意味(カプ思想)はなかったので… マジでツイート下手くそだな!?2度と喋るな!!🫵(はい)
これ、大鏡で光孝天皇と基経(だったかな)の話に出てくる「雉の足はかならず大饗に盛る物」のやつだ?! x.com/EeoduLzbYVjTpr…
一方、「大鏡」の「詮子、一条帝に涙の説得」や、「栄花物語」の「伊周、花山院恋人を勘違い」は恐らくフィクションだが、それを採用しなくてはドラマにならない。ドラマ化するにあたり、史実というものは一筋縄ではいかない厄介なものだ。
「史実と違う!」という人がいるが、一級史料である「尊卑分脈」に「紫式部 道長妾」と書かれていることも事実。一方で歴史ファンタジーである「大鏡」や「栄花物語」のフィクションを史実として有難がっているのはどういうわけなのか。「枕草子」にしても、事実を意図的に改変している↓ #光る君へ pic.twitter.com/gXJPyCodEL
オンデマンド。目次あり。 「伝統と革新を身にまとう、知られざる名工の生涯― 明治23年に開かれた第三回内国勧業博覧会に出品した《大鏡用葡萄鳩彫鏡縁》で一躍その名を世に知らしめ、…」 ⇒村上邦夫 『村上九郎作生涯記 改訂版 1867(慶応3)年~1919(大正8)年』 22世紀アート amazon.co.jp/dp/4867852813
大鏡とは? 文徳天皇の代から後一条天皇の代まで(850-1025)のことを,かなぶみで書いており,いわゆる鏡物の第1作。 作者不詳。 近代以前に藤原為業,同能信,近代になっても,源経信,同俊明,同俊房らを作者に擬する諸説が出されたが,いずれも,これほどのものを書く能力をもつ人物は誰か,という pic.twitter.com/2Wzm3ATHwe
返信先:@551_confucius雅楽迦陵頻(かりょうびん)の舞を習ったと言ってましたね。 祖父藤原兼家は「舞いの家」であることが誇りだったようで、道綱くんの初登場も父の前で舞を舞ってました。(史実でもかなり上手) 「大鏡」の道隆と福足君(道兼の息子)のエピソードにも舞が出てきます。
御堂の解読担当箇所が割と大物で、他の記録も調べるために大鏡の訳本を見てたら、その大物箇所の解説ど真ん中が訳本に載っていたので、えらく得をした覚えがあるなあ。法成寺の大規模仏事だったので、仏教用語いっぱいで、解説あっても全然読めはしなかったけどなあ
2,大鏡 あのー、どうしてみんな大鏡がこんなに面白いって教えてくれなかったの!?どんどこ読める。「そうだったんだ!」とか「へー!」とか言いつつ、あははと笑ったりしているうちに、あっという間に読み終わってしまった。お代わり!と叫びたい。
企画展「菊舎 ふるさと編」出品資料紹介 照らしてよ末の世かけて盆の月 菊舎が、弟の田上由規が眠る大坂の大鏡寺へ、盆供養の書画を寄進した際に詠んだ句です 由規は、長府藩大坂蔵屋敷で勤務中に自害して、大鏡寺へ葬られました 自害の理由はよく分かっていません pic.twitter.com/lAbXzGk81u
連載でお世話になっている『ノジュール』(JTBパブリッシング)の読者限定で、源氏物語の凸凹を歩く。今回は「桐壺」を中心に「帚木」「澪標」の各巻、さらに語りの位置情報が重なる『枕草子』『小右記』『大鏡』をサブテキストにして、平安宮の建物景観を巡検。源氏愛を紐帯に熱く語り合いました。 pic.twitter.com/QUvBzwBJDU
藤原媓子。 天禄3年(972年)、父兼通が関白に就任。同4年(973年)2月、円融天皇に入内。同年4月に女御宣下を受け、さらに7月に中宮に冊立される。 『大鏡』によれば、幼少の頃は父兼通に省みられなかったが優れた人柄であったといい、また兼通には他に適齢の娘もいなかったことから、当時としては遅
返信先:@DJgZG7UmV7ZO2ZWあー!有名なのに一度も食べたことがありません🥹🎵年内に1度は買わなければ😂 もう何年も前の話ですけど、堺 曽呂利サマで大鏡を買ったことがあって、実家にお土産で持って行ったら喜ばれた記憶あります(*^^*) あそこも美味しかったです😋
返信先:@ShiroSAGISU_twi写真1 リハスタに大鏡は必須だが録音スタジオには珍しい 写真2 オーケストラのマイクセッティング手書き図 写真4 パリならではのスタジオおやつ 写真3 壮観の96チャンネルSSL J
返信先:@HiroshMatsuur2はい、それは存じております。学生の時に大鏡に出会ってから道長が大好きで関係書籍や小説も読みあさっております。大河での改変も承知の上で柄本さんの素晴らしい演技から感じた思いをボヤきました。お気に障ったようでしたら申し訳ございません。ご指摘ありがとうございました